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秋田地方裁判所 平成4年(ヨ)50号 決定 1993年5月17日

債権者

巽信昭

右代理人弁護士

沼田敏明

虻川高範

菊地修

債務者

共栄火災損害調査株式会社

右代表者代表取締役

小川清記

右代理人弁護士

江口保夫

豊吉彬

江口美葆子

牧元大介

高野栄子

主文

一  債権者の申立てを却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

事実及び理由

第一債権者の申立て

債権者が債務者会社東京事務所で勤務する義務のないことを仮に定める。

第二事案の概要

一本件は、債務者会社に雇用され秋田市で勤務していた債権者が、秋田市から東京事務所(立川市)への配転命令が人事権の濫用により無効であるとして、右命令に基づき債務者会社東京事務所において勤務する義務のないことを仮に定める旨の保全命令を求めた事案である。

二争いのない事実

1  債務者会社は申立外共栄火災海上保険相互会社(以下、「共栄火災」という。)が一〇〇パーセント出資して設立された会社であり、共栄火災が締結した自動車事故損害賠償保険契約にかかる事故調査及び損害査定を目的とする会社である。

2  債権者は昭和五三年五月一日債務者会社に雇用され、同社東北事務所に配属され、以後、秋田市所在の共栄火災東北第二支店損害調査課において同課課長の指揮のもとで同課にかかる前記事故調査及び損害査定の業務を担当するアジャスターとして勤務していた。

3  債権者は、平成四年四月一日付で、債務者会社から、東京都立川市所在の同会社東京事務所への配置転換を命じられ(以下、「本件配転命令」という。)、以後、共栄火災東京損害調査部立川損害調査課においてアジャスターとして勤務している。

三争点

本件配転命令に人事権の濫用があるか

四争点についての双方の主張

(債権者)

1 本件配転命令の目的、動機の不当性

(一) 債権者は、昭和六一年一二月の忘年会の席上、共栄火災東北第二支店損害調査課長三橋敬明から業務に関する話題をくどく話し掛けられたため、これをたしなめた。

(二) 以後、三橋は、債権者に対して私怨を抱くに至り、昭和六二年一月以降、債権者に新規調査業務をほとんど指示しない一方、同年三月には、解決が困難な長期滞留事案を一挙に三〇件引き継ぐよう指示するなどの嫌がらせを行った。

また、三橋は、債権者の業務担当能力を不当に低く評価して債務者会社に報告し、その結果、債権者は、昭和六二年三月以降、考課により支給される類別給が下げられた。

(三) 右のように、債権者に業務を指示しない処遇は、平成二年四月、三橋の後任として菅俊朗が損害調査課長に就任した後も継続した。

(四) 本件配転命令に先立ち、債権者が異議を申し出ると同時に配転の理由を質したところ、債務者会社東北事務所長大橋勉らからは、秋田にいても仕事はない旨の応答を受けた。

(五) しかしながら、前記(一)ないし(三)記載の経過から明らかなように、三橋らは現実には業務がありながら、債権者に対する嫌がらせのため故意に業務を指示しなかったのであり、本件配転命令は業務上の必要性を欠き、また、債権者を退職に追い込もうとする目的を持った不当な人事というべきである。

2 債権者に対する不利益

(一) 債権者には妻と三人の子(一九歳、一五歳、九歳)、父母がいる。

妻は秋田市内で幼稚園の教諭をしており、債権者らの家族の生計の維持は債権者の収入と妻の収入により維持してきたものである。また、子らは未だ債権者らの扶助を要する年齢である上、債権者は自ら購入した住宅の購入代金の返済の必要性があるから、いずれも秋田市内を離れることが困難である。また、債権者の父母は老齢で、病気があり、秋田市を離れることは著しく困難であるほか、債権者及び妻には父親の介護をする必要もある。

従って、債権者が本件配転命令に従えば単身で赴任せざるを得ないが、債権者は前記子らの養育、父の介護にあたる必要があるので、本件配転命令は債権者の家族にとって著しい不利益を与えるものである。

(二) また、債権者は本件配転命令により現在東京で勤務することになったが、家族らは、子らの教育の必要から、秋田市内で生活している。このように家族の世帯が分かれたことから、債権者は生活費等について従来以上の負担を余儀なくされ、その結果、毎月の支出が収入を上回るに至っている(債権者は貯蓄等の取崩しにより対応している。)。

3 異例な人事異動

債務者会社においては、債権者のようなアジャスターに関しては、転居を要する配転命令は、同一ブロック内での異動であるか、または、本人の希望に基づく場合ないしは比較的若年の従業員に対するものに限られており、債権者のように五〇歳近くのしかも妻子等をもつ者に対する広域での異動は前例がない。

こうした前例から見ると、本件配転命令は債権者に対し他の場合と比較して均衡が取れない不利益を課するものである。

4 結論

以上のとおり、本件配転命令は、個人的な私怨というその動機、目的により、何ら業務上の必要性もなくなされ、しかも、債権者に対し著しい不利益を課するものであるから、人事権の濫用となり無効である。

(債務者会社)

1 本件配転命令についての業務上の必要性

(一) 昭和五七年ころから、共栄火災が債務者会社に発注する損害調査業務のうち債権者が担当したものについて、債権者の顧客に接する態度等について共栄火災に頻繁に苦情が寄せられるようになった。

右の苦情の内容は、概ね、交通事故の被害者からのものとして、相手方の言い分を聞かず自己の意見を主張する、専門的な用語を多用し理解しにくい、などとするものであり、一方、共栄火災の契約者である交通事故の加害者の側からは、債権者が交渉に応じる態度に不誠実な点があるとして被害者から苦情を受けたり、責められたりしているという内容のものであった。

さらに、共栄火災の代理店や医療機関からも、顧客等から多くの苦情が寄せられている旨の連絡が入るようになった。

(二) こうした苦情に対しては、その当時共栄火災東北第二事務所損害調査課において対応するとともに、同課課長においては、債権者に対しその態度を改めるよう指導したが、債権者は自己の態度を改めようとしなかった。

そして、昭和六一年ころまでには、共栄火災の代理店から、債権者をアジャスターとするなら、他の保険会社に契約を回すなどとする申入れ等もなされるようになっていた。

こうした事情から、昭和六一年四月に共栄火災東北第二事務所業務課長に着任した三橋敬明は、前記のような苦情、申入れの原因を調査したうえ、昭和六二年一月ころから、債権者に対して調査業務の発注を抑えざるをえなくなった。また、このころ、債務者会社東北事務所長大橋勉らが秋田に来て債権者にそれまでの態度を改めるよう指導したが、債権者の態度は改まらなかった。

さらに、平成二年四月に同事務所損害調査課長に着任した菅俊朗は、債権者に調査業務を発注するよう試みたものの、当時においては、債権者が担当することが分かると、代理店から、債権者には担当させないで欲しい旨の申入れがなされるような事態になっていた。

(三) 右のような経過から、債務者会社は、債権者につき秋田において業務を継続させることは困難と判断し、本件配転命令に至ったものである。

2 債権者に対する不利益について

(一) 債権者の妻は秋田市内にいて幼稚園の保母として勤務しているが、健康状態は良好である。

債権者の父は協和町に所在する二箇所の診療所及び同町所在の特別養護老人ホームに勤務する医師であるが、健康状態は極めて良好である。また、母は右父親と同居している。これらは、債権者とは別の世帯を有するもので債権者の家族ではない。

さらに、債権者の兄弟姉妹のうち三名が秋田市内に居住しており、債権者が父母の面倒を見る必要性は乏しい。

以上のような家庭状況から見れば、債権者が本件配転命令により東京で勤務するについて支障はない。

(二) 債権者は給与生活者であり、転居を伴う配転の場合には家族を同伴するのが現在の通常の形態である。従業員の転居により世帯が分離して、支出等の増加があるとしても、それは原則として従業員自身が甘受すべきである。本件の場合、本件配転命令により債権者が生活費等の支出増加の状態にあるとしても、それは社会通念上右により従業員自身が甘受すべき不利益の域を出ていない。

3 債務者会社における人事異動

債務者会社においては、債権者以外にも別表記載のとおり、転居を伴う人事異動が行われており、これらと比較して、特に債権者に対し不利益な取扱いがなされているものではない(債権者は、いわゆるブロック外への異動のケースのみを取上げて本件と比較しているが、ブロック内外を問わず、別表記載の人事異動には転居が必要なことに変りはないから、債権者の右のような比較は相当ではない。)。

第三争点についての判断

一本件配転命令に至った経過

前記当事者間に争いのない事実、本件疎明資料及び証人三橋敬明、同圓子力、同太田一美、同米屋透及び同関口美津夫の各証言並びに債権者本人尋問の結果によれば、以下の事実が一応認められる。

1  債権者は、昭和五三年五月一日、債務者会社に雇用され、東北事務所に所属し、秋田市所在の共栄火災東北第二支店業務課に配属され(業務課は、昭和六二年四月に業務課と損害調査課に分離され、以後、債権者は損害調査課配属となった。)、共栄火災が債務者会社に発注する人身事故の損害調査などを担当する一般アジャスターとして勤務していた。

2  債権者が右のように債務者会社に雇用されて以後、債権者は比較的勤勉で的確に業務を処理していたが、採用後二、三年を経過した昭和五七年ころから、債権者が担当していた調査業務に対して、共栄火災の自動車損害保険契約者などから、債権者が専門的な用語を多用しあるいは一方的に話をするため分かりにくい、連絡がないまま事件の処理が遅滞している、その他、言葉使いなどの面で債権者の接客態度が悪いといった苦情、あるいは、交通事故の被害者に対して債権者が右のような態度をとるために被害者から責められているという内容の苦情が、直接、共栄火災に寄せられるようになった。これらの苦情に対しては、共栄火災の損害査定担当者らがその都度契約者らに対して陳謝する一方、こうした案件については、共栄火災の査定担当者が直接事故調査等の業務を行うなどの措置を講じていた。

さらに、共栄火災の代理店からも、債権者の担当業務に関しては契約者からの苦情が絶えないため、債権者に損害調査業務を担当させないで欲しい、ないしは、債権者が調査業務を担当するのであれば、顧客からの損害保険契約を他の保険会社に回すとの申し出さえなされるようになった。

3  こうした事態について、共栄火災の業務課査定担当米屋透(昭和五八年ころまで)、同課課長代理佐藤正俊、さらに、昭和六一年四月に同課課長に着任した三橋敬明らが、債権者に対し、苦情の趣旨を説明するとともに、顧客である契約者ないしその相手方となる被害者に対する接客態度を改めるよう指示ないし示唆をしてきたが、債権者の業務処理に関する苦情は継続していた。

4  そこで、共栄火災においては、昭和六二年一月以降、前記三橋は、債権者に対する新規調査業務の発注をしない扱いをとるようになった。

なお、こうした事態を踏まえて、同年三月ころ及び平成二年六月ころには債務者会社の東北事務所長及び本社代表取締役らが秋田に来て、債権者から事情を聴くとともに従来のような態度を改めるよう説示したが、その後も、前記のような態度に変化はなかった。

5  また、債権者らアジャスターは事実上共栄火災の事務所において執務をしていたが、前記のとおり、共栄火災の職員らが債権者に対する苦情の処理にあたるようになっていた他、こうした事態に対する債権者自身の態度に右職員らも不快な感情を抱いていたため、右職場内においても、債権者と共栄火災ないし債務者会社の職員らとの人間関係も円滑を欠くようになった。

6  その後、平成二年四月、共栄火災損害調査課長が前記三橋から菅俊朗に変るとともに、同人は債権者に対し新規調査業務の発注をすべく試み、秋田県内に限らず山形県の調査業務を担当させることも検討したが、債権者に業務を発注することが判明すると共栄火災の代理店からも強い苦情が寄せられたり、山形県の共栄火災の営業担当者からも難色が示されたりしたことから、結局、債権者に調査業務を発注することは断念せざるをえなかった。

7  このようなことから、債務者会社においては、債権者を秋田において調査業務に従事させる環境が失われているものと判断して、本件配転命令をするに至った。

以上のとおり一応認められる。

そして、右事実関係に基づいて判断するに、本件配転命令に至る以前に債権者の調査業務について共栄火災に寄せられていた契約者ないし代理店からの苦情の内容、その結果債権者に対する調査業務の発注が困難なものとなっていたこと、さらには、職場において債権者と他の職員との間で協調関係を欠いていたことなどの事情からすると、本件配転命令の当時、債権者がこれ以上秋田において就労することは債務者会社の営業面及び人事管理面の双方から見て不適切な事態に立ち至っていたものということができるから、債務者会社が債権者の職業場所について従来の東北地区から切り離すべく本件配転命令をするに至ったことについては一応業務上の必要性があったというべきである。

二次に、本件配転命令が債権者に及ぼす影響について検討するに、本件疎明資料、債権者本人尋問の結果によれば、以下の事実が一応認められる。

1  債権者には、妻(四四歳。ただし、本件配転命令当時。以下同じ。)と三人の子(それぞれ一八歳、一五歳、八歳)がおり、妻は秋田市内で幼稚園に勤務している。また、子のうち二男、三男はいずれも未だ就学年齢にあるが、長男は東京に就職している。

妻は本件配転命令後、過労及び腰痛により診断を受けたことがあるが、その前後を通じて右勤務先に就労しており、健康上格別の問題はない。

2  債権者の兄弟二人及び妹一人は、いずれも秋田市内に居住している。

そのうち、弟は四三歳で、秋田市内に債権者とは別世帯を有し、後記のとおり債権者らの父親が院長を勤める協和診療所に事務長として勤務している。

3  他方、債権者の父はその妻及び債権者の兄とともに秋田市内に債権者とは別個の世帯を有し、協和町内にある二箇所の診療所(協和診療所及び船岡診療所。うち一箇所は内科医長として勤務)及び一箇所の特別養護老人ホームに医師として勤務し、そのうち協和診療所は院長を勤めている。右秋田市内の自宅には週末に戻る程度で、その他は右協和診療所に妻とともに起居している。

秋田市内の自宅から右勤務先への通勤、各診療所等の間の移動及び急患時の往診の際の交通には自動車を利用しているが、概ね協和診療所に事務長として勤務する債権者の弟がその運転を担当している。

債権者の父親及び母親はそれぞれ八一歳、七八歳と相当の高齢であるが、就労ないし生活の支障があるような疾患はない。

4  本件配転命令の後、債務者会社は債権者に対し、東京方面での居住用として専有面積一二二平方メートル、部屋数六の一戸建て住宅を用意し、その家賃一〇万五〇〇〇円のうち債権者が負担するのは六〇〇〇円である。

以上の事実により判断するに、まず、債権者が本件配転命令に従う場合、一方で債権者の妻が仕事を辞めるか(債権者に同伴する場合)、あるいは、債権者の世帯が分離される結果、家族関係の切断及び支出の増加等を余儀なくされる(単身赴任の場合)のであり、本件配転命令がいずれにしても債権者の生活に対して一定の負担をもたらすことは否定できない。しかしながら、債務者会社が本件配転命令に際して債権者に提供した住居は債権者の家族が生活するに足りるものであり、その住居につき債権者が負担する費用は月額六〇〇〇円であること等の事情に鑑みると、本件配転命令により債権者が受ける不利益は前記債務者会社の業務上の必要性と対比して著しいものとはいえない。

また、債権者には相当高齢の父母がいるものの、同人らはもともと債権者とは別個の世帯を有しており、また、生活上介護を要するものでもない。さらに、父親の勤務については自動車運転の補助が必要ではあるが、前記認定のとおり、これについては概ね債権者の弟がその任にあたっており、かつ、同人と父親との勤務先が同一であることから考えれば、その方がより適切であり、少なくとも、債権者の方が弟に比してこれらの任により適切であると認めるべき事情は存在しない。

三次に、債務者会社の人事異動の状況について見るに、疎明資料及び審尋の全趣旨によると、昭和六一年以降の転居をともなう人事異動の状況は別表記載のとおりであること、これによると転居をともなう人事異動であっても相当部分が同一の地域内での異動にとどまっていることが一応認められ、債権者のような配転はかなり稀なケースであることがうかがわれる(右別表記載中の広域地区間の異動のケースは、本人の希望によるかその他のなんらかの特殊な事情があったものであることが推測される。)。

したがって、本件配転命令は、債務者会社の従業員、特に、債権者のようなアジャスターと呼ばれる職種の従業員の人事異動としてはやや特殊なものであるというほかはない。

しかし、前記一において認定したとおり、本件配転命令は債権者に従来の担当地域及び職場環境から離脱させるところに主眼点があるところ、前記のとおり山形県内の代理店からも苦情が出ていることなどからみて、債権者を秋田県内に隣接する地域に置くことも困難であったと認められ、本件配転命令による配属先である東京が配属先として不適切とはいい難い。従って、右のような他の人事異動のケースとの比較により、本件配転命令が、債権者に対し他の債務者会社の従業員と比較して不均衡な不利益を与えるものとはいえない。

四以上によれば、本件配転命令は債務者会社の業務上の必要性に基づいてなされたものであり、かつ、債権者に対する不利益は過重なものとはいえないから、人事権の濫用ということはできず、有効であり、債権者の本件申立てには理由がない。

(裁判長裁判官山本博 裁判官松吉威夫 裁判官神坂尚は転補のため記名押印できない。裁判長裁判官山本博)

別表<省略>

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